絵画なら画家、クラシック音楽なら作曲家、文学なら作家。作り手の人生は、しばしば作品の表裏として一緒に語られる。作品は変わらなくても、作者を知ると鑑賞体験が変わる。古典の作者には、とんでもない犯罪者もいた。けれど数百年も経つと、それすら、作品を味わう背景知識として扱われる。
ポピュラー音楽も基本は同じだ。人柄が作品に反映されているといわれる。夭折すると人気が爆上がりしたりする。逆に、醜聞が生じると作品まで忌避される場合がある。同時代を生きているからこその、感情的な反応だろう。
自分は、ミュージシャン本人も作品と表裏だと考えている。だから、本人に不快を感じればその音楽も不快になる。作品の出来不出来/評価とは別に、受け止め方は良くも悪くも知識で変わるのだ。
一方で、「作品と作者とは切り離して考えるべきだ」という論調もある。だが時には、不謹慎な言動がパフォーマンスの一部だったりする。どこまでが作品でどこからが人か、簡単に線を引けない気がする。
知識で受け止め方が変わるのも、作品のみで鑑賞しようとするのも、結局は、鑑賞者自身の問題だ。鑑賞方法を一つにそろえる必要はない。だから、一方の論を主張して相手を変えようとはしないことだ。
とはいえ・・・理屈をこねてはいるが、結局、自分は不愉快な奴の音楽を楽しめない。
だから聴かないのである。


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