創作〔音楽〕

小2のとき、母を称える15~20小節ほどの曲を作って贈った。譜面・歌詞とも母が保管していたはずだが、そういえば母の遺品では見かけなかった。もはや最後の2~3小節しか覚えていない。小5あたりでさらに1~2曲つくり、中1でバンドごっこをはじめてからは、作詞の才がある友人と組んで乱作した。コンサートの真似事をしたり、演奏を多重録音したカセットテープを「アルバム」と称して友人らにばらまいた。アルバムはVol.4~5くらいまで続けた。その友人の詞のほかにも、自分や他の友人の歌詞、歌詞ナシなど合わせて、中学時代に百数十曲を作った。大半が、フォークソング調のものだった。

中2の終わり、他校へ転校する女子から、「自分の歌詞に曲をつけて欲しい」という依頼を受けた。1週間ほどで作曲し、伴奏つきの譜面を書いて贈った。後日聞いた話だが、その女子が転校先の音楽教師に演奏してもらったところ、教師が「これを作った人は音楽を良く知っている」と褒めたらしい。個人的には嬉しいが、自分の拙さを自覚している身としては、どうにも歯痒かった。

高2では、文化祭でつくった映画に数曲を提供し、クラスメートが分担して演奏した。その中の1曲、女子グループがピアノ演奏した曲は、自分の構想と大きく異なる編曲で、かつ、はるかに厚みがあったのが印象的だった。一方、男子グループが演奏した1曲は、自分ではベースラインこそがキモだと思っていたのだが、説明不足だったのか、かなりシンプルなベースに変更されており、少々残念だった。

後日、奇跡的に当時の音源が再入手できたので聞いてみた所、ベースラインは自分の編曲どおりだった…別テイクか、他の何かと混乱したのかもしれない。

また、中学時代に作詞・作曲のタッグを組んだくだんの友人に呼ばれ、友人同級生の女子ひとり加えたトリオで、彼の高校の文化祭でも数曲披露した。後日、彼から「お前は中3の頃の作品が最盛期だった」と言われた。確かに熱量が下がっているという自覚はあったが、以後も、先述の女子から詞の提供を受けるなどしながら、細々と作りだめしていった。

高校以降の作曲は、フォーク調からポップ調に移ったが、ジャズ風、クラシク風、実験音楽風など、散らかしまくっている。社会人になるまでにおよそ220曲を作った。そのうちの1曲を〔臆面もなく〕自分の結婚披露宴で新郎新婦入場のBGMに使った。だがそれ以降は、思いついたフレーズを譜面に書き留めたり、過去の作品の編曲を構想するばかりで、だらだらとネタだけを溜めている。

幼少期にピアノを習いはしたが、作曲・演奏の基礎的な音楽理論知識がまるでない。そのため作った曲はどれも、単純なメジャー/マイナーコードばかりで薄っぺらい気がしてならない。それを何とかしたくてメロディーラインや編曲をいろいろ練るのだが、今度は演奏の腕が付いていかない。そこで、演奏力にかかわらずそれなりの構成・編曲・演奏で聞けるようにしたい…という思いで、MIDI・シンセサイザーに手を出した。

ところが、作業に恐ろしく時間がかかる。軽く弾いて譜面を起こせても、そこからのアレンジやリズムの揺らぎ表現などは、永遠に終わらない。聞いて確認している時間が圧倒的に長い。そんなこんなのハードルが立ちはだかる所為もあって、望みはいまだかなえられていない。

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