情報システムの成否は「人」が扱う情報をどこまでを取り込めるか、にある
○ 知識をシステムにとりこむ
△ 思考をシステムにとりこむ
× 感覚をシステムにとりこむ
× 経験をシステムにとりこむ
× 知恵をシステムにとりこむ
× 感情をシステムにとりこむ
× 無意識をシステムにとりこむ
人間は「五感+1」で判断する
五感(特に皮膚感覚)と第六感(勘)が大事
五感に現われる以前のものは、判断できない
大 「感じられる」もの 表現不能
↑ 「考えられる」もの ロジック
↓ 「見える」もの モデル
少 「触れる」もの ハードウェア
コンピュータはまだ、「触れるもの」ものしか提供していない。だから人間は、コンピュータと即物的にインタフェイスしようとする(いきなり機種選定に走る理由はこれ)。コンピュータは、人間が、慮る(おもんばかる)ことに期待しすぎ。
人はアナログである
デジタルを扱うことはできても、自らがデジタルに振る舞うことはできない。
人の知識=情報 ⇔ システム
人の思考=ロジック ⇔ システム
ビデオゲームなどの人の動きが、極めてリアルでなめらかになったといって騒いでいる。ポリゴン等の高度な技術が使われている。しかし、本来アナログである人間の感覚は、こんなことに騒ぎはしない。《おなじような》画面を持つテレビでは、40年も前から、人の動きは滑らかだったのだから。
デジタル・サウンドがもてはやされるが、すこしHzを間違えただけで音がでなくなったり、壊れたりする。アナログ・コイルでチューニングしていたラジオは、多少ずれていようが、平気で鳴っていた。コンピュータがなんと言おうと、人とは、そういう物の方が使いやすいと感じる。
技術は、わがまま
- 電車の運賃精算器
釣り銭と精算切符と定期を別々に出しておきながら、「定期券、現金をお忘れなく」と女性の声で呼びかけている。あれが親切と思っているとすれば、それは技術の奢りだ - ダイヤル感覚→ボタン感覚→デジタル感覚を迫られる世代
ジコジコまわるダイヤルやTVチャンネルの操作から、やっとプッシュ電話や、ボタン式リモコンになれた。こんどは、一つの画面にいくつもの機能が入ってきた苦労して身につけた、「ここを押せばいい」という感覚が、既についてゆかなくなってしまった - コンピュータに漢字をいれるために…
JISコード付きの漢字辞典、人名ソフト、住所ソフトができた便利になったのではなく、技術の傲慢さを人が受け入れているだけではないか - 左利きの人でも右手でマウスを使う(最近は対応した)
それでも、テンキーは右にある身体障害者でも両手のすべての指でキーボードを打つ何語をつかう人でも、左から右に横書きで文字を書くうっかり電源を切ってはならないのに、電源スイッチがある - ビルのエレベータのロジック
最短法、フロア分割法、一方向禁止法、頻度分散法 etc. どんな立派なロジックを使っていようが、利用者が「コイツは言うことを聞かない!」と思えば、やはり馬鹿なのだ - さらに・・・
技術者の中には、「技術」を知らない人を蔑む傾向がある。情報リテラシ、コンピュータ・リテラシという名の差別がうまれている
コンピュータの欠点は、「コンピュータ」そのものであることだ
- コンピュータで計算させるための操作
- コンピュータから出力するための入力
- コンピュータを動かすための運行業務
- コンピュータを使うための学習
- コンピュータを置くためのオフィス
- コンピュータで使うための…
- ゲーム、電子データ、CD-ROM 雑誌/書籍、音楽データ、画像…
書籍で高画質な絵画が見られるのに、わざわざドットの荒い電子データを画面で見ようとする - メモ帳、手帳、ノート
人は、字を書くときは下を向く
考え事をすれば上を向く
疲れたときには横になる
…コンピュータの操作方法は、この生理に逆らっている。
- ゲーム、電子データ、CD-ROM 雑誌/書籍、音楽データ、画像…
情報システムは、人が「生き物」であることを忘れている
- 仕様を「きっちり決められる」と勘違いしている
- 気が変わらないと思い込んでいる
- 一度決めればそれでいいとおもっている
- 人によって意見が違うことをしらない
- 仕様通りに使うと思い込んでいる
- マニュアルを読むと思っている
- マニュアルは、技術が独善的だから生まれたもの
- エラーの「メッセージ」を読むと思っている
- → 本当はエラーという「現象」を認知するだけ
- 人はコミュニケーションがうまいと思い込んでいる
- 常に、本当のことを言うと思っている
- 的確で正しく表現すると想定している
- すべて・正しく・書いてあると決め付けている
- いったことを覚えていると思っている
- 一度言ったことは、変わらないと思っている
- 「口からでまかせ」「思い付き」という概念を知らない
- 誰もが、自分の本質的な要求を認識していると思っている
- 人が、自分自身を良く知っていると想定している
- 人が働き者だと勝手に決め付けている
- ビジネスを効率良くすすめることが、要求とは限らない
- 人は「怠けるために努力する」ことを知らない
コンピュータが人と接するときは、アナログでなければならない
コンピュータは、人が「生き物」であることを忘れている
- 疲れないとおもっている
- 好き嫌いの感情を軽んじている
- 「慣れ」という学習能力を間違って理解している
- →特殊S/W、H/Wへの「馴れ」であり、「特化」である
- 正しく判断すると勝手に想定している
- 間違えないと思い込んでいる
- 気分/機嫌の悪いときがあることを知らない
しかし人は、最初に覚えたもので、ロジックが出来上がる(=インプリンティング)。
→ 正しいと思い込む
→ 変えたがらない
マウスでせっかくアナログに戻ったインタフェイスは、極度のGUI至高主義で、ボタンへの回帰現象を生んだ。
技術が行き過ぎても、人間に不親切になる
- 小さくてキーが打ち難いパソコン
- とても打ち込む気になれない携帯電話の文字メール
- 早すぎて読み取れない文字スクロール
- 必要量が少なすぎて、つい多く使ってしまう洗剤や薬
- 薄すぎてすぐに壊れるカード電卓
- 人間の「耳と口の間隔」よりも小さいPHS
インタネーットでホームページを見に行くと、1画面を表示するのに、何十秒~何分もかかることがある。同じ情報を雑誌で見るとすれば、秒あたり2~3ページは見ることができる。重要な情報にも、無用な情報にも、インターネットのスピードは、全ての情報に同じ参照時間を要求する。
看るLook(0.01%) > 観るWatch(0.1% ) > 見るRead(1%) > 視るSee(99%)
市場原理だけが技術を手なずけている
利用者のビジネスではなく、提供者のビジネスのために技術が変わる。良いものがかならずしも良いとは言われない市場原理。だれが技術を手なずけるべきか。
→ 学者や技術者ではなく、経営者である
→ 利用者が手なずけられる様になるのは10年先
技術とビジネスの関係(とるべきアプローチ)
- PAST:技術⇔技術 ビジネス⇔ビジネス
- 技術は優れてさえいればよかった
- ビジネスは、技術と無縁だった
- 技術は、自己内部の目的に従順だった
- 技術の不備は、人が補なった
- UNTIL TODAY:技術⇒ビジネス
- 技術はビジネスを助ける立場に立つ
- ビジネスは技術からの恩恵を待ち受ける
- 「技術を使うこと」が目的となる
- 技術は、他の技術と補ないあって不備をうめる
- FROM NOW:ビジネス⇒技術
- ビジネスは、技術を選別するようになる
- 技術の不備は、ビジネスにとって不要であることを意味する
- 「ビジネス目標の実現」が、技術の目的となる
- 技術は、それ自信で自立しなければならない (× 独立)
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