昭和に戻ったね

ハッキングによる個人情報漏洩が相次いでいる。大手の企業・サービス・サイトからの情報漏洩がいくつも報じられている。そのなかに自分が利用している先がひとつでもあれば、もう、漏れた可能性は否定できない。結局、個人がどれほど注意深く管理しても、自分の情報はどこからかネットに流れる恐れがある。もはや、一定範囲の個人情報は、隠しきれない状況になったと感じる。

この状態は、個人情報の開示に寛容だった昭和に戻ったような感がある。当時は、電話帳や各種の名簿がわざわざ配られていた。著名人の住所はあたりまえ、高額所得者だと納税額まで全国民に知らされていた。一般人でも出生/結婚/死亡情報が新聞に載り、住民基本台帳は誰でも閲覧でき、住宅地図には居住者が記載されていた…。

ただし、今日の状況が昭和と大きく違うのは、本人の意図しない流布が増え、悪用手段が電子化され、さらに悪用された場合の被害が広範かつ深刻になった点だ。名前・住所・連絡先あたりの基本情報を秘匿しきるのは、いまやかなり難しい。けれども、健康、財産、人権にかかわる機微情報〔センシティブ情報〕は話が違う。漏れたり、悪用されると人生が詰む恐れすらある。なんとしても守らなければならない。

エネルギーの掛け方を変える必要がありそうだ。基本的な個人情報を懸命に隠すより、機微情報を守るほうがよほど重要になってきた。基本情報とむすびついた認証方法〔パスワード=誕生日など〕は論外だけれど、機微情報を集中させるのもアブナイ。ひとつの仕組みで情報管理していると、それが破られただけですべてが漏洩しかねない。単一のデバイス〔スマホ〕への依存は、紛失・故障リスクまで加わって危機感を感じる。

「個人情報」という表面的な言葉で十把一絡げに考えていてはだめだ。何を守るべきか、どう守るべきか、私たちはこれから、守りの堅牢さと、リスク/情報の分散とに、もっと真剣にむきあうべきだろう。

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